眼鏡男子のあれこれ

眼鏡男子があれやこれやと書いていくそんな場所。

言い方

自分の気持ちを伝える時に思ったことをそのまま口から出すことってありますよね。それがいいことでも、そうでなくても。

 

 

発信された言葉は自分が意図したまま捉えられるかどうかはもうコントロールのしようがない。受け取り手によって変わってしまう。

 

自分とその伝える相手との関係性が出来上がっていたとしたら言わないような言葉を言う人っていうのは、もうどうしたらいいのか正直僕はよくわからない。今あなたが発したその言葉が自分に置き換えたら、どんな気持ちになるか想像しているのか甚だ疑問だ。

きっとその人は自分にその言葉が届いた時憤怒するんじゃないかと思う。これははっきり断言できることではないけれど、そうなる可能性が高いだろう。

 

"友だち"だと思って、今でも連絡を取り合う人はきっとそんな発言はまぁしないと思う。

波長が合う人と自然と仲良くなり、"友だち"と認識する過程で選別は自然と自分の中で行われてきたはずだから。

その過程をすっ飛ばして、出来上がってしまった関係性に名前をつけるならば"友だち"ではない。そこが違いなんだろうなと思う。

 

 

 

以前、"もっと人の気持ちを考えたほうがいい"と言われたが、それを言う本人がその言葉を他人に言うことでどういう感情を与えるのか考えたのだろうかと思う。ここでいう人はきっと発言した私の気持ちなんだと、その後考えて自分の中に落とし込んだ。

それは人の気持ちと言って一般化するのはおかしいんじゃないだろうか。はっきりと私の気持ち考えて、でいいんじゃないだろうか。そしてそれを他人に言うのならば、それを自分は実行できていて然るべきということもわかっているんだろうか。

 

まぁ、これは人の振り見て我が振り直せ、なのだが、納得がいっていないからつらつらとこんなに面倒くさいことを書いている。

そして言い方というのはとても大事なんだと自戒の意味を込めて残しておきたい。

また"友だち"というのが自分にとって大切なものなんだと再認識させられたことも。放たれた言葉が僕自身でなく"友だち"を確実に傷付けるものならば(届かせないが)、悲しみと怒りが込み上げてきてどうしようもなくなる自分がいたからだ。

 

当人にそんな気はなかったのかもしれない。

だが、その言葉はグサリと心をえぐった。

思い出すとまた痛み出す。

申し訳なさも込み上げてくる。

 

この記事は自分への救済措置。吐き出さずにはいられなかった。

 

こういう時に染みる曲はゆっくりと心を溶かしてくれる。そしてこんな心境を曲にしたらと考えてしまう自分がやれやれともなってしまう。