眼鏡男子のあれこれ

眼鏡男子があれやこれやと書いていくそんな場所。

準備体操

どうも眼鏡男子です。

書いている間に「何のこと書いてたんだっけ」となるテーマ迷子になるので、

これから書いてあることをリストアップしました!

 

[本日のテーマ]

①先輩の話

②やりたいこと2021

 

では、本文、いってみよう!

 

 

 

①“準備で大体決まる”

 

前の職場でお世話になった上司が言っていた言葉だ。

今でも時々頭の中に浮かんでくるということは覚えとこうという反応なのかもしれない。

実際その人は結果も残していたし、言葉に嘘がなかった。

 

なので、次のステップに進む前にできるだけのことはやっておきたい。

なあなあでスタートを切ると、結果に対して甘い振り返りしかできないからだ。

結果にはちゃんとそれまでが現れる。

 

ただいつまでも準備をしていたならば、一向に物事が進むことはないので期限を決めることも大切だ。

 

「〜までに〜をする/始める」

 

と決めてしまえば、あとはそれに向け淡々とタスクをこなしていく。

 

 

②自分プロジェクト(やりたいことリスト)

 

そんな自分プロジェクト(自分で企画した自己完結型プロジェクト)は今のところ30個あって、

「何しよ…?」とならないように去年から自分で自分の道標を立てている。

(実際はそんなカッコつけた名前ではなく“やりたいことリスト”である)

 

そんなプロジェクトだが、去年と今年のものを見てみるとあることに気づいた。

1つを除いて、全てが自己完結型だったのだ。

寂し!という感情論を置いてけぼりにしてしまえば、ひたすら自分の好きなこと・やりたいことに向き合った結果

今のところほぼ他人を入れていないという発見を得られた。これはなかなか面白い。

 

・自分はこれが好きだ!他の人も好きなら一緒にやろう!くらいの距離感がいいのだろうか。

・自分の好きなものを相手に押し付けるのが嫌なのか。

・新しい場所で出会う人と会うのが楽しみなのか。

・大人数になればなるほど予定の調整が難しくなるからか。

 

今挙げたものは全部当てはまるな。

今後、年の初めに“誰かと一緒に何かをしてみたい”というプロジェクトが出るのかが楽しみである。

 

ちなみに唯一の誰かとやるものは、[大学時代の寮生との飲み]である。企画せねば、オンラインであったとしても!

「チョコレートが嫌いなの…」

今週のお題「チョコレート」

 

チョコレート

チョコレート

  • 藍坊主
  • ロック
  • ¥255

「チョコレート」藍坊主

作詞:藤森真一
作曲:藤森真一

「チョコレートが嫌いなの。」あなたの言う淋しげな口癖 

舌先で溶けてしまう言葉みたいだからと

昼下がり喫茶店 煙草を燻らせてる僕は 

コーヒーに写ってる表情にハッとした

あぁ また思い出していた もう聞けない口癖を

あなたが思ってたより ずっとあなたを想ってたんだよ

本当は気付いてた、僕の言葉を待っていたこと

 

チョコレートが嫌いなのはさ僕も同じだったんだよ 

銀紙を噛んだような甘い台詞は嘘っぽくて

アベル カランとなるたびに振り向いては探してる

あなたのその笑顔も その涙も見当たらない

今ならば言えるのに この溶けないあなたへの想いを

 

たった今遠く 君の声遠く

貯まった手紙 叶わない約束 捨てられない写真 消えない声

 

あなたに会いたくなる 会いたくなる そんな時は

チョコレート一粒食べてみる 食べてみる

あなたが思ってたより ずっとあなたを想ってたんだよ

叫んでも 叫んでも ほろ苦い思い出は消えない

 

最近よくこの曲を聞くのは、歌うのはきっとこの季節だからなのだろうか。

僕自身はというと、チョコレートは好きだ。

チョコレートのこんな嫌いな理由ある?

歌だから成り立ってしまう不思議さ。ノンフィクションの可能性もある。

 

ギターソロが終わった後のフレーズ。

体言止め・ぶつ切り・名詞の嵐が如何にもこうにもグッときてしまう。

 

この歌のBは内省で、サビは気持ちがそのまま表されている。

 

思い切りテーマから逸れる「気持ちを伝えること」について

 

「口に出さないとわからない」

「口に出しても分かり合えない」ことを最近学んだ。

また、歌ならば包み隠さず真っ直ぐ放てる言葉も、

相手との関係性・背景・会話の流れ・相手からの自分の印象(想像)

が何層にも言葉を包み、もしくは捻じ曲げて相手に伝えて(伝わって)しまう。

要するに口下手ということである。

口が立つ人はいいな。

舌先で溶けてしまう言葉であったとしても。

気がついた時には、既に3ヶ月程過ぎていた

どうも、眼鏡男子です。

 

不意に新しいノートを買って、何かを描きたい(書きたい)気分になったことがあります。(今です)

しかし次第にその衝動は薄れていき、結局3ページも使われずにいる不憫なノート達を思い、今はこうしてここに書くことにしている。

 

 

 

ここまで書いて、誤って投稿ボタンを押してしまった…

常時更新していくこととする。

 

 

 2020年を振り返って、やってよかったなと思うことは【やりたいことリスト】を作ったことだ。

2019年まではというと、抱負という“大体こんな感じで1年間やってこ〜”というぼんやりとしたものだった。

それを具体的な10個のリストに変えることで、自分がこの1年で何をしてきたのか(またはしなかったか)、そして次にこれをやっていこうという自分の苦手とする[計画立て]ができた。

 その中身はというと、大きく分けて2パターンあり、1つは《一回やれば終わるもの》、もう1つは《継続的にやるもの》だ。

残念ながら今年はコロナのため、前者のグループに入る「〜へ行って〜する」というものは年始早々に達成したものを除いて、1つも達成することはできなかった。

その残念さもあってか、後者グループに入っていた「毎月一曲作曲」は達成、「ひと月に一冊以上読書」は4月6月を除いて達成することができた。

 自分自身に誓約というか締め切りを設けることで、小さな目標を与え、それをクリアーしていく仕組みを作ることは1年間を振り返っていいことだったと実際にやってみて実感している。何となく1年過ごすのもいいにはいいのだが、振り返った時に「無」よりも目に見えた小さな成果があれば何かしらはして生きていたのだなと確認できて安心するからなのかもしれない。

 

あと3時間足らずで2021年を迎えるが、このやりたいことリスト作りはこれからも続けていこうと思う。

1時間ほど、これからの1年で何をしたいかだけを考える時間を設けて、それをリストアップする。

そういう時間が持てるのも一種の幸せなのかもしれない。

いつでもギターを

僕はどこにでもギターを持っていく。

 

初めて自分のギターを手にしたのは14歳だったはず。

(その前年ギターの値段を見てウクレレを買ったが何か違ったのはいい思い出。何せ弦の数もチューニングの仕方も違う。私は問いたい。何故買った13歳の自分)

 

その頃から始まった僕のギターライフ。

流行りの歌謡曲がたんまり入った本を買っては気になる曲を弾きながらコードを覚えていった。

ギターを弾くとボディーを伝わってくる振動が心地良くて、ギター抱えながら寝ていた。

一曲通して弾けるようになってからは自分だけで楽しむのではなく、外にも持って行ったりした。

 

例えば、学校で何か行事があると持って弾いていた。

中学校でも、高校でも、大学でも。

卒業後に渡ったベトナムでは現地で買って持って帰ってきた。3本も。

ホーチミンにはギターストリートと呼ばれる場所があって、名前だけで心踊ったな〜。連れて行ってくれた人に感謝だ。)

職は変えてもギターはいつも持っていた。

 

何か続けていることはありますか。と聞かれたら、“ギター”と答える。

高校からならば、“ギターを弾いて歌を歌う”になるかな。

今では大切な心の安定剤。

曲を作るようになってから余計に拍車がかかってる。

 

ギターを弾く機会が事ある毎にもらえてる、自分から掴みに行ける状況にあるのは本当にありがたい。

そして自分だけが楽しむだけでなく、周りも楽しんでもらえるものになってるなら素敵だと思う。

 

始めた頃から倍以上の時間が経った今も続いているゆるーい習慣であるギターはこれからも変わらず、ゆるーく続いていくはず。

点と点を繋いで

「好きなことをしなさい」

 

昔から言われていた、この言葉。

その時々によって自分の"それ"は違っていたけれど

今振り返ってみると、それらが繋がって見える。

 

今年から足を踏み入れた場所も、元々自分の中にあった"それ"だ。

自分はどうも"それ"がないと本腰を入れて取り組めないと認めざるを得ない。

 

飽き性なのかと自分を疑問視する自分もいたが、今は違う。

今までの"それ"をやってきて良かったと実感している。

点在しているように感じていたときもあったが、今は違う。

すべては今に繋がっている、繋げられる。

 

"それ"をたくさん持てたことは、自分にその言葉をくれたからだと思う。

放任ではなく、信頼。

 

あたたかい関わりを大切にしたい、そう感じたのでここに記す。

温かさ

ずいぶん冷え切ってしまった、凝り固まった胸の奥を溶かしてくれるもの。

 

例えば、昨日見た好きなアーティストの配信ライブ。

 

ふと聴きたくなった音楽。

 

新しい感性や考え方・感じ方。

 

そういったものに触れて、見て、聞いて、溶かしていく。

 

自分で選べば、きちんと距離が取れるゴミ溜めと上手に付き合っていく。

 

外の平穏は自分ではどうしようもできないけれど、内くらいは保っていきたいもんです。

自己効力感

去年買った(としよう。はっきりとした日付を忘れてしまったからだ。)本にこんなものがある。

 

 

自分には時たま「もう何もやりたくね〜」という状態になることがあって、

何でこうなってしまうのだろうという疑問があった。

 

その手がかりが書いてあるかもしれない、という期待と

+4月から新たな環境に身を置くにあたって役に立ちそうな章が中にあったからだ。

 

タイトルにつけたキーワードだが、この本の中にももちろん出てきたが、

(それを目にしたことで自分が意識していたからか)他にもよく目にするようになった。

 

定義を改めて確認してみる。

 

・自尊心や自己肯定感:自分自身を信じている状態、自分を信じていると感じている程度を意味する

・自己効力感:目標達成に対する能力があると自分で認知するための言葉で、社会的認知理論で使用される心理学用語の一つ

(「自己効力感とは? 自己肯定感と何が違う? 測定方法・高める方法」https://www.kaonavi.jp/dictionary/self-efficacy/

 

自分の中で、自己肯定感と自己効力感がごちゃ混ぜになっていたと気づいた。

何らかの目標ありきの自己効力感と、ただ漠然と自分を信じる自己肯定感。

 

自分で定めた目標達成に向けて、「自分にはできるんだ」と内から、そして「君ならできる」と外から声をもらいながら、目標達成という成功体験を積み重ねて行く中で自己効力感が養われていく。

その過程で自己肯定感が合わされば、プラスの働きになる。といったところだろうか。

 

「ただし」という注意書きもあったが、step by step、日々邁進

 

まずは自分で実験してみるか。